【掲載記事】読売新聞(関西版)2017/10/31
工場で修理を待つのは、思い出を詰め込んだ数々のバッグやスーツケース。
「最高の仕上がりでお返しします」
かばんの総合病院を謳い、年に2万個を修理するが、父の信一さんが脱サラで創業したのはレンタルスーツケース店だった。
海外旅行者が増え始めた1979年のこと。
壊れて返ってくる物の多さから、神戸市の自宅で修理も請け負い始めた。
技術は独学ながら、へこみや鍵穴、 キャスターの割れを直す丁寧な仕事が評判に。海外旅行客向け保険会社の取引先にもなり、依頼はどんどん増えた。自身が入社したのは、この頃だった。将来を考えながら海外旅行した際、現地の修理店をのぞき、父の仕事の確かさを痛感したのを機に営業担当を務め始めた。
父が亡くなった2011年、西宮市北部に移転した。工場は2000平方。
今や縫製や塗装の担当を含め15人にまで増えた職人が、一つ一つ手作業で仕上げていく。最新の樹脂製部材に合わせる接着剤を研究し、部品を一から手作りすることも。
「いま自分が出来るベストを」という先代との約束を胸に、顧客の多様な要求に応える。今春には中古品販売の専門店も神戸の三宮に開いた。 夢は膨らむ。
「東京五輪・パラリンピックで日本に来る方々のものも直せたら」と。
この記事へのコメントはありません。